運
ピロリ菌に感染して
今年の5月末くらいから慢性胃炎と逆流性食道炎に罹り、現在(9月下旬)まで最大の痛みが継続しています。あまりにも痛みが酷いので、以前胃炎になった2024年ぶりに胃カメラをしてもらいましたが、前回よりも圧倒的に胃が荒れてました。血で真っ赤になり、明確な傷が画像いっぱいに広がっている胃壁を見て、すぐには治らないことを悟りました。
確定した訳ではないですが、ピロリ特有の症状(びらん・発赤など)があるため、かなり高い確度でピロリ菌の感染が疑われています。
ピロリ菌とは
胃がんの99%以上の原因となっている菌であり、胃がんの前のステージである胃潰瘍が「治らない病気」とされていた最大の原因です。胃酸の酸性度はpH 1~2程度であり、塩酸に匹敵するほどの高い酸性度のため、このような環境下で生きていける菌は存在しないと考えられていたことが「不治」の理由です。そのため、胃がんも原因不明の疾患であり、要するに胃潰瘍になった人は胃がんに発展してしまい、高い死亡率を示していました。なんと1998年に原因解明されるまで治療法も確立しておらず、日本では2013年まで治療が保険適用にはなっておりませんでした(慢性胃炎)。つい最近まで簡単には治せなかったという事実は恐ろしいです。
今では抗生剤の多剤併用療法と胃酸の抑制(PPI)によって菌の根治ができるため、死ぬことも治らないこともないです。
しんどさ
慢性胃炎の最も苦しい点は、食事にあります。胃炎によって胃の機能が悪化すると、胃酸の逆流が起こります。その結果、食道まで胃酸が返ってきますが、食道は強い酸に耐性がないため、しっかり炎症が起こります。
これを避けるために、胃酸のターゲットを食べ物にする(要するに食事をとる)と、確かに胃酸は食道まで上がってこず(また、胃酸の中和されてpHが上がり、酸として弱くなるため)、胸痛は生じません。しかし、そもそも胃に大変な炎症があるのだから、食事を取って胃にものを入れて痛くない訳がありません。これが最大の苦痛です。食事を取らないと食道が痛み、食事を取ると胃が痛む。経口で栄養を取らず、胃酸抑制をしながら点滴などで痛み止めと一緒に栄養を取れば痛まないですが、まったく現実的ではないです。
日常生活への影響
ずっとお腹か胸が痛いため、全く集中ができません。仕事外でも単純なことを覚えていられず、入眠も痛くてより困難になりました。痛すぎて早退・在宅ワークも増えました。これが3か月以上続いているのだから信じられないです。しかし、ただ「お腹が痛い」だと苦痛が伝わりにくいこと、このように詳細に説明するのもはばかられること、特に「胃炎」とだけ言うと軽い症状で罹患したことのある方が多く、実情を過小評価されることが主因となり、しっかりと痛みを人に伝えていません。この3か月は平気な顔して耐えてきましたが、帰路で歩けなくなるなど嫌な症状は出ているのでさっさと治したいです。実際のところ、ここまで症状が悪化しているなら(特にピロリと分かったなら悪化の危険性が高いので)上記の経口で栄養を取らないという作戦を取るべきで、すなわち入院してがっつり治すべきなのですが、私のような働き方をしている社会人には事実上不可能です。
何が悪いか
ピロリ「菌」と言っているくらいなので、菌への感染が原因です。これは多くの場合親から子へと伝染するとされており、大人になってから感染することは稀です。親世代では、衛生環境がまだ十分に整っておらず、汚染された水や食べ物を経由して感染していたようです。私は一年前の検査時点ではピロリを持っていなかったので、この一年でどこかから感染したようです。最悪ですね。したがって、「何が悪いか」というと「運」に尽きます。
何が言いたいか
もともと思っていたことではありますが、人生が運すぎることを改めて感じました。この数か月、明確に自分のパフォーマンスが落ちていることを強めに実感しています。それは転職したから思うように力が発揮できないとかそういうしょうもない気持ち面の話ではなく、シンプルにお腹が痛くて働けないという意味です。本来であれば入院措置が必要であり、現状から回復するまでに数か月はかかることも考えると、もし感染していたのが高校生だったらやばかったなと思います。3年しかない学生生活の半年以上が持っていかれることになり、これは短い学生生活においてクリティカルすぎると思います。整理して書くと「病気になると学生生活がつぶれる」ってだけの当たり前の事実なんですが、身を持って「何もできなさ」を感じると、これが学生時代じゃなくて良かったと痛感します。部活でも、勉学でも、青春でも、貴重な時間の大部分が運だけで持っていかれる事実を直視すると、そこそこの衝撃があります。少なくとも、学生時代にピロリに感染していたら、私は国立大学には行けなかったと思います。
運で「何もできなさ」を直接食らっている現状だと、「何かができた他人」を見たときに「運が良かったんだな」と思うようになってしまいます。もともと苦手だった高学歴だけではなく、もともと好きだったアスリート(今なら世界陸上とか)を見てもダークな気持ちが少し芽生えるようになっています。最近だと、「親ガチャ」という言葉が流行るなどして、「自分の努力とは全く関係のないところの影響」というものは世間的にも無視できないものだと認識されているかと思いますが、それは「during」の影響であり、個人差も大きく、「at」の影響と違って比較しにくいため実感もあまりありませんでした。ひっくるめて同じことだとは思いますが、「健康でいること」が当たり前ではない事実に悲しい感情が芽生えます。珍しい病気とかではなく、ピロリ菌のようなメジャーな菌に感染していたかどうかで経歴が大きく分岐していたと思うと衝撃です。
総括
健康であることという当たり前の運を享受してきた人はどういう顔をして生きるべきなのか、イマイチわからなくなりました。そこも元から思っていたことではありますが、主に先天的な精神面の強さばかり想定していました。これは物理的な苦痛と違って目に見えにくく、明確な分岐点を実感しにくいことから、人生が「変わる」というより人生が「決まっている」ように捉えていたため、今回の教訓は自分の人生観を大きく変えました。このことは、今まで健康に生きてきた自分にとって、事実として認識しながらも感覚として落ちていたものなので、ショックのままに書いています。こうしている今もクソ痛いため、この程度の文章を書くのにも謎に数日かかりました(こんなものを書く必要も感じないため書き始めたときの温度感を保てなかったのが大きいかもですが)。
今後は健康でいることを噛みしめて生きます。